あなたは何のために、スポーツをしていますか?
- 試合に勝ちたいから
- もっと上手くなりたいから
- 自己ベストを更新したいから
- 全国大会に出たいから
- 健康でいたいから
- 身体を動かすと気持ちがいいから
- 仲間と過ごす時間が楽しいから
- 仕事や勉強の気分転換になるから
あるいは、
- 昔から続けているから
- 部活動に入ったから
- 友人に誘われたから
- なんとなく、やめる理由もないから
スポーツをする理由は、人によってさまざまです。
では、この中に「正しい理由」はあるのでしょうか。
スポーツをするなら、明確な目標や立派な目的を持っていなければならないのでしょうか。
私は、そうは思いません。
むしろ大切なのは、正しい目的を探すことではなく、ときどき
「いまの自分は、なぜこれをやっているのだろう」と問い直すことなのではないかと思っています。
スポーツをする理由に、正解はない
「好きだから」で、十分
「スポーツは何のためにするのか」と問いかけましたが、スポーツに立派な目的がなくてもいいと思っています。
楽しいから走る。ボールを蹴るのが好きだからサッカーをする。休日に身体を動かすと気持ちがいいからスポーツをする。
それで十分です。
必ずしも、「人間として成長するため」「社会で役立つ力を身につけるため」といった意味を持たせる必要はありません。
2011年、当時の日本体育協会(現・日本スポーツ協会/JSPO)と日本オリンピック委員会(JOC)の創立100周年記念シンポジウムで採択された「スポーツ宣言日本」では、スポーツについて次のように示されています。
スポーツは、自発的な運動の楽しみを基調とする人類共通の文化である。
この言葉で印象的なのは、スポーツの出発点に「自発的な運動の楽しみ」が置かれていることです。
もちろん、上達することや勝利を目指すことを否定するものではありません。勝つために苦しい練習を重ねることも、昨日の自分を超えることも、スポーツの大きな面白さです。
ただ、スポーツの先に、何か別の大義を置かなければならないわけではありません。
「好きだから」「楽しいから」「やっていると気持ちがいいから」。
それ自体が、十分にスポーツをする理由になります。
出典:公益財団法人日本スポーツ協会「『スポーツ宣言日本』について」
https://www.japan-sports.or.jp/news/tabid92.html?itemid=668
スポーツは何かのための手段にもなり得る
一方で、スポーツを何かのための手段として捉えることもできます。
- 健康を維持するために走る
- 体力をつけるために泳ぐ
- 仲間をつくるためにクラブに参加する
- 子どもの成長や教育にスポーツを生かす
- 仕事や勉強から離れ、気持ちを切り替えるために身体を動かす
- スポーツを仕事にして、収入を得る
こうした関わり方にも、それぞれ意味があります。
スポーツは、目的にもなれば手段にもなる。
どちらかが正しく、どちらかが間違っているわけではありません。
「スポーツは○○のためにするものだ」と、ひとつの答えに決めてしまう必要もないのだと思います。
それでも、ときどき「何のためにスポーツをしているのか」を考えてみることには意味があります。
なぜなら、自分自身が変われば、スポーツとの関係も変わっていくからです。
スポーツとの関わり方は、変わっていく
始めた理由と、続けている理由は違っていい
私が陸上競技を始めた理由は、決して立派なものではありませんでした。
中学生になると部活動に入らなければならず、私はチームスポーツにあまり興味がなかったので、なんとなく陸上競技部を選びました。最初から「全国大会に行きたい」と思っていたわけではありません。
ところが、専門的な知識を持った顧問の先生やレベルの高い先輩、同学年の仲間に恵まれ、部活動そのものがどんどん面白くなっていきました。
走れば、記録が伸びる。レースで勝てるようになる。
中学2年の夏には県中学総体で優勝できるまでになり、「もっと速くなりたい」「もっと走りたい」という気持ちが自然と強くなっていきました。
振り返ると、あのころはとてもシンプルでした。
走ることが楽しい。記録が伸びることがうれしい。もっと速くなりたい。
走って、速くなること自体が目的だったのだと思います。
中学3年では、全国大会で3位に入賞しました。
ところが、高校に入ると、その関わり方が少しずつ変わっていきます。
「このままでいいのかな」と思うとき
中学生の全国大会で3位になったことで、当時の私には少なからずプライドがありました。
しかし、高校には私よりも速い競技者がいくらでもいました。
高校1年の秋にはようやく中学3年のころの自己ベストを更新し、陸上が再び面白くなってきた時期もありました。
それでも、中学校から一緒だった中距離を専門とする友人にも、400mで勝てなくなっていきます。さらに、中学生のころや高校1年のころには勝てていた相手にも、少しずつ先着できなくなりました。
「努力が足りないのだろうか」
「自分には、そもそも能力がないのではないか」
そんな不安が増えていきました。
そして私は、レース前から「負けるかもしれない」「たぶん今回も勝てないだろう」と、負けた自分を先回りして想像するようになりました。
今振り返ると、実際に負けたとき、自分が傷つかないように予防線を張っていたのだと思います。
いつの間にか、「もっと速くなりたい」ではなく、勝つか、負けるかばかりを考えるようになっていました。なぜ走っているのかも、よく分からなくなっていました。
高校最後の年、個人種目ではブロック大会7位。インターハイへの出場権は得られませんでした。
そして、高校2年で出した自己ベストすらも更新することができませんでした。
もちろん、競技成績が伸びなかった理由をすべて気持ちの問題にするつもりはありません。
ただ少なくとも私の場合、中学生のころにあった「もっと速くなりたい」「走ることが楽しい」という感覚が見えなくなり、勝敗に強く囚われていたことは確かです。
こうした迷いは、形こそ違ってもスポーツを続けていれば起こり得ます。
- 受験が近づき、部活動と勉強のどちらを優先するか悩む。
- 練習しているのに記録が伸びない。
- カテゴリーが上がり、以前は勝てていた相手に勝てなくなる。
- 周囲のレベルが高くなり、自分だけ取り残されたように感じる。
- 昔ほど、スポーツを楽しいと思えなくなる。
嫌いになったわけではない。でも、「なぜ自分はこれを続けているんだろう」と思う。
そんなときがあります。
惰性で続けることが、悪いわけではない
だからといって、毎日のように「自分は何のためにスポーツをしているのか」と考える必要はありません。
習慣になっているからこそ続けられることもあります。深く考えず、いつものように練習へ行く。それ自体は、決して悪いことではありません。
ただ、心のどこかに「このままでいいのかな」という違和感が生まれているなら。
その違和感を見ないまま続けるのではなく、一度、自分とスポーツとの関係を問い直してみてもいいのではないでしょうか。
いまの自分に、問い直してみる
目的を決めるためではありません。立派な目標をつくるためでもありません。
いまの自分が、スポーツとどんな関係にあるのか。少し立ち止まって確かめるための問いです。
スポーツをしていて、「やっていてよかった」と思うのはいつですか?
試合に勝ったときでしょうか。自己ベストが出たときでしょうか。できなかったことができるようになったときかもしれません。仲間と過ごしている時間かもしれません。ただ身体を動かしている時間そのものかもしれません。
そこには、自分がスポーツに求めているものを知るヒントがあります。
いま、どこに違和感がありますか?
勝てないこと。練習が苦しいこと。周囲から期待されること。本当は競技以外にもやりたいことがあること。「ここまで続けてきたのだから、やめてはいけない」と感じていること。
違和感があるからといって、すぐにやめる必要はありません。
ただ、その違和感がどこから来ているのかを考えてみる。それだけでも、自分とスポーツとの関係が少し見えやすくなるかもしれません。
いま、スポーツに何を求めていますか?
昔の目標ではなく、いまです。
大会で勝ちたい。自己ベストを出したい。健康でいたい。仲間と一緒にいたい。仕事とは別の場所で夢中になれるものがほしい。ただ走っていたい。
あるいは、今はスポーツを最優先にしたいとは思っていない。
どれでも構わないと思います。
目的は、過去の自分との契約ではありません。変わっていいものです。
これから、スポーツとどう関わっていきたいですか?
ここまで考えたとき、最後に残るのはこの問いです。
「続けるべきか」ではありません。「やめるべきか」でもありません。
自分は、どう関わりたいのか。
そこから考えればいいのだと思います。
スポーツとの関わり方は、選び直せる
「続けるか、やめるか」だけではない
スポーツとの関係を考えるとき、つい「続ける」「やめる」の二択になりがちです。
でも、実際にはもっと多くの選択肢があります。
- 受験があるなら、練習回数を減らしてもいい。
- 一度休んで、受験が終わってから再開してもいい。
- 大会への出場を減らしてもいい。
- 「全国大会」から「自己ベスト」へ目標を変えてもいい。
- 競技としては区切りをつけ、健康や楽しみのために続けてもいい。別の競技に挑戦してもいい。
- 指導者や支える側として関わってもいい。
もちろん、スポーツから離れるという選択もあります。
どれを選ぶべきなのかを、この記事で決めることはできません。その人の環境も、価値観も、いま大切にしたいことも違うからです。
ただ、「続けるか、やめるか」以外にも選択肢があると知るだけで、少し見え方が変わることがあります。
いまの自分に合わせて、関わり方を再定義する
高校を卒業した私は、恩師の計らいもあり、日本トップクラスの選手が集まる大学で陸上競技を続けることになりました。
周囲のレベルは高く、私は推薦で入った選手でもありません。だからこそ、変なプライドを持たず、「何者でもない選手」としてゼロからスタートできたのだと思います。
そこで、改めて気づきました。
やっぱり、走ることは気持ちいい。
結局、私は走ること自体が好きだったのです。
先輩や同期、後輩にも恵まれ、その後、関東インカレ、日本インカレ、日本選手権リレーといった舞台で走る機会にも恵まれました。
ただ、いま振り返って大切だったと思うのは、大きな大会に出場できたことだけではありません。
高校時代に見えなくなっていた「走ることが好き」という自分の感覚を、もう一度取り戻せたことです。
就職した後も、私は走り続けています。表向きには「健康のため」と言うこともあります。
ただ、健康だけが目的なら筋力トレーニングでもいいはずです。でも私は筋力トレーニングがあまり好きではなく、油断するとすぐにサボります。それでも、走ることは続いています。
理由は意外と単純です。
走ること自体が好きだから。
いまの私にとっては、それで十分なのだと思っています。
スポーツとの関わり方を再定義するというのは、必ずしも新しい大きな目標を立てることではありません。
勝つことから、楽しむことへ。全国大会から、自己ベストへ。毎日練習することから、週に一度身体を動かすことへ。競技者から、指導者へ。続けることから、一度休むことへ。
その時々の自分に合わせて、関わり方を変えていい。過去の自分が決めた目的に、今の自分が縛られ続ける必要はありません。
スポーツを続ける理由は、変わっていい
スポーツをする理由に、正解はありません。
「好きだから」でいい。何かを得るための手段でもいい。勝ちたいと思ってもいい。健康のためでもいい。仲間と過ごしたいからでもいい。
そして、昔とは理由が変わっていてもいい。
始めた理由と、続けている理由が違うことは、とても自然なことです。
大切なのは、「何のためにスポーツをするべきか」という正解を探すことではないのだと思います。
もしいま、スポーツとの関係に少し違和感があるのなら。過去の目標や周囲の期待をいったん横に置いて、
いまの自分は、スポーツとどう関わりたいのか。
一度、問い直してみてもいい。
続けることも、休むことも、関わり方を変えることも、離れることもできる。
どんな選択をするにしても、その前に自分自身へ問いかけてみること。
そこから、自分なりのWillが見えてくることがあります。
いま、あなたはなぜそのスポーツを続けていますか?