スポーツの指導者は何をする人なのでしょうか。
- 技術を教える人。
- トレーニングメニューを考える人。
- 試合に向けて戦術を考える人。
- 良かったところを伝え、改善点をフィードバックする人。
- 競技者を励まし、ときには厳しい言葉をかける人。
どれも指導者が担うことの一つだと思います。
では、それらは何のために行うのでしょうか。
私は、指導者として競技者に関わるようになってから、少しずつこの問いについて考えるようになりました。
この記事で「理想の指導者とはこういう人だ」と定義したいわけではありません。
指導する競技も、年代も、環境も違います。競技者一人ひとりの性格や目標も違います。どんな場面でも通用する一つの正しい指導方法があるとも思っていません。
ただ、いまの私は一つの考えを持っています。
指導者とは、目の前の競技者が成長するために、自分に何ができるかを考え続ける人なのではないか。
※もちろん、競技者の安全や尊厳が守られることが、成長を支える以前の大前提です。
今回はそんな問いについて考えてみたいと思います。
※スポーツの現場には「コーチ」「監督」「先生」など、さまざまな呼ばれ方があります。
本稿では、競技者の活動や成長に関わる人を広く「指導者」と表現します。
また、競技スポーツに取り組む人全般を「競技者」と表現します。
「教える」ことは、指導の大切な一部
指導者という言葉を聞いて、まず「教える人」を思い浮かべる人は多いと思います。
スポーツでは、実際に教えることが必要な場面がたくさんあります。
初心者には、競技のルールや基本的な動きを伝える必要があります。
危険な動作をしているなら、その場で明確に止める必要があります。
競技者が知らない知識や技術を、指導者が持っていることもあります。
ですから、「答えを教えるのは古い」「競技者にはすべて自分で考えさせるべきだ」と言いたいわけではありません。
教えることは、指導者の大切な仕事の一つです。
一方で、指導者の役割を「知識や技術を教えること」だけで捉えると、少し見えなくなるものがあるように感じています。
でも、「教える」だけで終わるのだろうか
「指導」と「育成」という言葉があります。
PHP人材開発のウェブ記事では、企業における人材育成の文脈で、指導を目の前の仕事をできるようにする比較的短期的な働きかけ、育成を将来の成長まで考える、より長い時間軸の取り組みとして整理しています。
もちろん、これは企業における人材育成についての記事であり、その定義をそのままスポーツ指導に当てはめるつもりはありません。
ただ、
「どのくらい先まで見て、その人に関わっているのか」
という視点は、スポーツにも通じるものがあると感じます。
スタートの技術を改善する。次の試合で自己ベストを出す。大会で勝てるようにする。
それらも大切です。
しかし、特に子どもや中高生年代では、自分の指導期間が終わった先にもその人のスポーツとの関わりがあります。
高校へ進む。大学へ進む。競技を続けるかもしれないし、一区切りをつけるかもしれない。
あるいは、その後、指導する側になることもあるかもしれません。
そう考えると、
「今日、何をできるようにするか」だけでなく、「その先の成長に、自分はどう関われるのか」
という時間軸も持てるのではないでしょうか。
参考:PHP人材開発「『指導』と『育成』の違いとは?~人づくりの本質を考える」
競技者の「いま」だけでなく、その先を見る
公益財団法人日本スポーツ協会(JSPO)は、公認スポーツ指導者について、プレーヤーズセンタードの考え方のもと、「常に自らも学び続けながらプレーヤーの成長を支援する」存在として示しています。
私は、この「成長を支援する」という表現が好きです。
「指導者が競技者を育てる」と考えるよりも、
競技者が育っていく。そのために指導者ができることを考える。
そう捉えた方が、私自身のいまの感覚には合っています。
参考:公益財団法人日本スポーツ協会「日本スポーツ協会公認スポーツ指導者概要」
「育てる」より、「育っていくことを支える」
成長を支えるために何をするかは、その時々で違います。
JSPOでは、プレーヤーズセンタードなコーチングを実現するためのアプローチの一つとして、「TELL(指示)」「SELL(提案)」「ASK(質問)」「DELEGATE(委譲)」という方法を紹介しています。
どれか一つが常に正解なのではなく、競技者の状況や背景などに応じて、関わり方を使い分けていく考え方です。
参考:日本スポーツ協会「プレーヤーの成長をサポートしながら共にスポーツを楽しむコーチングとは?」
私自身、指導する中で、この使い分けの難しさを感じています。
例えば、競技者の動きを見ていると、
「ここをこうすればいい」と、すぐに答えを伝えたくなります。その方が早いからです。
一度伝え、できなければまた伝える。さらに細かくフィードバックする。
でも、それを繰り返していると、
競技者から、「どうすればいいですか?」
という言葉ばかりが返ってくることがあります。
指導者が答えを提示し続けることで、競技者自身が「どうしたらいいだろう」と考える機会まで奪ってしまうことがあるのではないか。
そう感じるようになりました。
だから最近は、「こうしてみたら?」というヒントだけ渡してみる。
「いまのは自分ではどうだった?」と聞いてみる。
そして、競技者が自分の感覚を言葉にするまで、少し待つ。
すぐに答えが出てこなくても、待つ。
これは、実際にやってみると意外と難しいことです。
指導者が答えを言ってしまった方が、ずっと早い。
それでも、その数秒、数十秒を待つことが、競技者自身が考える時間になることもあります。
「教えること」と「考えてもらうこと」のどちらか一方が正しいのではなく、
いま、目の前の競技者が成長するためには、自分はどんな関わり方をするのか。
そこを考えることが大切なのではないかと思っています。
指導者自身は、なぜ競技者に関わるのか
ここまで競技者の成長について考えてきました。
でも、もう一つ問いかけてみたいことがあります。
そもそも、指導者自身はなぜ指導しているのでしょうか。
実は私自身、最初から「子どもたちを指導したい」という強い意思を持って指導者になったわけではありません。
仕事のつながりで、「陸上競技を教えられる人を探している」という話がありました。
活動場所も住まいから近い。話を持ってきてくれた人が取引先という関係性もあり、かつ断るほどの理由もない。
正直に言えば、最初は少ししぶしぶ参加しました。
当時は毎回継続して関わるつもりもなく、スポット的に参加する程度でした。
当然、長期的なトレーニング計画のようなものもありません。
その日に集まった子どもたちを見て、その場で何をするか考える。
今振り返ると、かなり場当たり的な指導だったと思います。
ところが、継続して参加してくれるメンバーが、少しずつ増えていきました。
そしてあるとき、
「日曜日の陸上を楽しみにしている」
と聞きました。
その言葉を聞いたとき、自分の中で指導への向き合い方が少し変わりました。
この活動を、どうしたらもっと良いものにできるだろう。
自分の指導を通して、子どもたちに何を還元できるだろう。
と、きちんと考えるようになったのです。
「指導したい理由」にも、正解はない
特に小学生年代の子どもを見ていると、成長がとても分かりやすく表れます。
最初はその場で連続してジャンプすることができなかった子が、何度か取り組むうちに、できるようになる。
ハードルをうまく越えられなかった子が、片足で踏み切ってリズムよく越えられるようになる。
その瞬間に、「できた」という表情を見せる。
できなかったことが、できるようになる。その過程の一部を手助けできる。
私は、それを見るのが面白いと感じています。
最初はしぶしぶ始めた指導でした。でも今は、
競技者が昨日できなかったことをできるようになっていく。その成長に関われることが面白い。
それが、私が指導を続けている理由の一つです。
指導者になる理由に、立派な使命が必要だとは思いません。
- 競技が好きだから
- 自分が教わったことを次の世代へ返したいから
- 強い競技者を育てたいから
- 子どもが成長する姿を見るのが好きだから
- 指導そのものが面白いから
理由は人によって違っていい。
ただ、
「自分は、なぜこの人たちに関わっているのだろう」
と、自分自身にも問いを向けてみることには意味があると思っています。
自分のWillと、競技者のWillは同じとは限らない
指導者にも、「こうしたい」という意思があります。
- 全国大会を目指してほしい
- もっと競技を好きになってほしい
- 長くスポーツを続けてほしい
- 努力することを覚えてほしい
どれも、その指導者なりの思いでしょう。
しかし、その思いが競技者本人の思いと同じとは限りません。
指導者は全国大会を目指してほしいと思っている。
一方で競技者は、友人と楽しく競技を続けたいと思っているかもしれない。
逆に、指導者は無理をさせたくないと思っていても、競技者本人はもっと高いレベルを目指したいと思っているかもしれません。
どちらが正しいという話ではありません。
ただ、
「自分がこの競技者に望んでいること」と、「競技者本人が望んでいること」は同じなのか。
そこを時々確認することは、自分の指導を考えるうえでも大切なのではないでしょうか。
競技者から見たとき、指導者はどんな存在なのか
ここで、少し視点を変えてみます。
指導者について考えるこの記事は、指導者だけに向けたものでもありません。
競技者から見ても、
「自分に関わっているこの指導者は、どんな人なのだろう」
と少し考えてみると、違ったものが見えるかもしれません。
技術や実績だけでは見えないものもある
私自身、競技人生を通して多くの指導者に教わってきました。
当時は、先生がどんな思いで自分に関わっていたのかまでを想像することは、ほとんどありませんでした。
振り返ってみると、中学や高校の先生は、本当に陸上競技そのものが好きだったのだと思います。
そして、競技結果だけでなく、生徒が成長していくことそのものを楽しみにしてくれていたのではないか。いまになって、そう感じます。
高校2年生のある時期、私はかなり調子を崩していました。
なかなか調子が上がらず、それでも大会に出場しようとしていた私に、当時の先生が、
「今回はレースを欠場するのも手だと思うぞ」
という趣旨の言葉をかけてくれたことがありますが、当時の私はその選択をしませんでした。
走って、結果を出す。
それによってしか、自分の価値を示せないような気持ちになっていたからです。
結局、レースに出場して惨敗しました。
そのときは先生の言葉の意味を十分に理解できていなかったと思います。
でもいま、指導する側になって振り返ると、
あの先生は「この大会で何秒出すか」だけではなく、調子を崩している私自身のことを心配してくれていたのではないか。そう思います。
指導者を見るとき、競技実績、指導実績、専門知識、資格はもちろん一つの判断材料になります。
でも、それだけでは見えないものもあります。
何を大切にしている人なのか。なぜ指導しているのか。
目の前の競技者を、どんな時間軸で見ているのか。
指導者の言葉の背景にある意思に少し目を向けてみると、同じ言葉でも違って聞こえることがあるかもしれません。
※もちろん、指導者に善意があれば、どんな言葉や関わり方でも許されるという意味ではありません。繰り返しにはなりますが、競技者の安全や尊厳が守られることが大前提です。
指導者も、問い続ける人なのかもしれない
結局、指導者は何をする人なのでしょうか。
- 技術を教える。
- 知識を伝える。
- トレーニングを考える。
- 問いかける。
- フィードバックする。
- 任せる。
- 待つ。
- 競技者の安全を守る。
- 目標に向かうことを支える。
どれも、指導者が行うことです。
だから、私は「指導者はこれをする人だ」と、一つに決めることはできません。
むしろ、競技者も、置かれている環境も、その時々で変わっていきます。
だからこそ、
「いま、目の前の競技者が成長するために、自分には何ができるだろう」
と考え続ける。
そして、ときには自分自身にも、
「私は、なぜこの競技者に関わっているのだろう」
と問いかける。
正しい指導方法を追究することよりも、そうやって問い続けることの方が、私には大切なように思えます。
私もまだ、その答えを持っていません。
これから指導を続けていけば、考えも変わっていくかもしれません。
あなたは、目の前の競技者が成長するために、何をしていますか?