オーダー用紙の提出が8分遅れ、選手は走れなかった
2026年8月、山口県で第53回全日本中学校陸上競技選手権大会が開催されました。
女子4×100mリレーの予選に出場予定だった甲府市内の中学校の生徒4人は、当日の走者と走順を申告するオーダー用紙の提出が締め切りから8分遅れたため、出場できなかったと報じられています。
用紙を提出する予定だった顧問教諭が、提出を失念していました。
参考:陸上の中学全国大会で書類提出8分遅れ競技出場できず…引率教師が失念、「生徒に非はない」との訴え認められず
日本陸上競技連盟の2026年競技規則TR24.13〔国内〕では、リレーのチーム編成は各ラウンド第1組の招集完了時刻の1時間前までに正式に申告することが定められています。
また、この規則に従わなければチームは失格となります。
参考:日本陸上競技連盟「2026年度競技規則 TR24.13」 2026年度競技規則
今回の出来事について、
生徒には非がないのだから、8分程度なら出場を認めてもよかったのではないか。
という意見もあるでしょう。
ただ、本稿では「走らせるべきだったか、否か」については考えません。
競技規則上の扱いは明記されています。
ここで考えたいのは、その前です。
なぜ提出忘れが起き、その一つのミスを途中で食い止めることができなかったのでしょうか。
「中学生なのだから、運営が声をかけるべきだった」のか
もう一つ見かけるのが、
中学生の大会なのだから、未提出に気づいた大会運営側が声をかけてもよかったのではないか。
という意見です。
全国中学校体育大会が、単なる競技会ではなく学校教育活動であることは確かです。
日本中学校体育連盟は、全中大会を「全国の中学生を基盤とした学校教育活動」と位置づけています。
一方、その基本的性格には、生徒同士の交流や技能・体力の向上だけでなく、ルールやマナーを守り、スポーツ精神を育てる大会であることも明記されています。
参考:日本中学校体育連盟「令和8年度 全国中学校体育大会運営の基本と大会開催基準」 開催基準・規程等
私は、教育的な大会であることと、運営側が各チームのルール遵守を個別に補完することは別だと考えます。
今回の提出作業そのものは顧問が担っており、生徒本人の落ち度を意味するものではありません。
それでも、競技の場には守るべきルールがあり、それを理解し、決められた手続きの中で競技することもスポーツの一部です。
さらに、個別のリマインドを大会運営の役割にすると、新たな問題も生まれます。
何分前に声をかけるのか。
未提出の全チームに行うのか。
連絡がつかなかった場合はどうするのか。
あるチームだけ声をかけ忘れたらどうするのか。
「今回は8分だから」「中学生だから」と個別に配慮すれば、別の場所で新しい線引きが必要になります。
そして、リマインドする側も人間です。
「運営が声をかけ忘れる」という、新しいヒューマンエラーも起こり得ます。
だから、もし大会運営として提出ミスを減らすなら、スタッフ個人の善意による声かけではなく、全チームへの一斉通知やシステムによる自動リマインドなど、誰に対しても同じように働く仕組みとして設計する方がよいでしょう。
個別の配慮と、標準化された仕組みは分けて考える必要があります。
個人のミスだけで終わらせていいのか
今回の出来事は、「顧問が提出を忘れたことが原因」と一言で片づけることもできます。
それなら、次から忘れないようにする、もっと注意するで終わりそうです。
ただ、その後の報道では、同校では2026年7月の県中学総体でも別のエントリー記載漏れがあり、生徒1人が競技に出場できなかったことが明らかになりました。
参考:県中学総体でも顧問ミスで出場できず 校長に報告せず保護者の指摘で発覚 山梨・甲府市
もちろん、二つのミスが同じ原因で起きたとは限りません。
また、報道だけでは学校内部の役割分担や確認体制のすべては分かりません。
だから、この学校の仕組みが悪かった。と外部から断定することもできません。
それでも、再発防止という視点では、
誰が忘れたのか。
だけでなく、
なぜ、誰かが忘れたときに、それを補うことができなかったのか。
まで考える必要があります。
「提出を忘れた」は、原因分析の終点ではなく、出発点です。
人のミスを見るか、仕組みを見るか
医療安全の分野でヒューマンエラーを研究した心理学者James Reasonは、エラーへの向き合い方をPerson approach(個人アプローチ)とSystem approach(システムアプローチ)に整理しています。
Person approach(個人アプローチ)では、
忘れた。
注意不足だった。
確認を怠った。
と、ミスをした個人に焦点を当てます。
一方、System approach(システムアプローチ)では、人間はミスをする存在であることを前提に、人が働く条件や、そのミスを防げなかった仕組みに目を向けます。
Reasonは、人間そのものを完全に変えることはできなくても、人が働く条件は変えられるとし、エラーを防ぐだけでなく、エラーが起きたときにその影響を抑える防御をつくることを重視しています。
参考:James Reason「Human error: models and management」BMJ, 2000 論文掲載ページ
今回なら、
「提出を忘れた顧問が悪かった」
だけを見るのが、個人へのアプローチです。
そこから、
提出担当は明確だったか。
担当者が別の業務をしていたら、誰が代わるのか。
提出済みかどうかを、誰かが確認できたか。
締め切り前に気づく仕掛けはあったか。
まで広げる。
これが、仕組みを見るということです。
同じミスを防ぐなら、何を仕組みにするか
今回の学校で実際に何ができていて、何ができていなかったのかを断定することはできません。
そのうえで本稿では、同じような事務的ミスを防ぐため、Reasonの考え方を参考に再発防止を考える観点を次の6つに整理してみます。
OWNER|担当
誰がその仕事に責任を持つのか。
BACKUP|代替
担当者が動けないとき、誰が代わるのか。
CHECK|確認
完了したことを、誰がどう確認するのか。
TRIGGER|きっかけ
締め切り前に思い出せる仕掛けがあるか。
REPORT|報告・共有
ミスやヒヤリとした出来事を、誰に共有するのか。
LEARNING|学習
共有された出来事から、手順や役割をどう変えるのか。
例えば、
オーダー用紙は○○先生が提出する。
だけなら、一人の記憶に依存します。
そこから、
締め切りより余裕を持った提出時刻を設定する。
提出後は共有表を「完了」にする。
副担当者も完了を確認する。
まで決めれば、一人が忘れても途中で気づける可能性が高まります。
人の記憶の外側に、防御を置く。
これが仕組み化の一つの考え方です。
「次から気をつけます」は、仕組みではない
ミスが起きたとき、
今後は確認を徹底します。
二度と起こさないよう注意します。
という再発防止策が示されることがあります。
もちろん、本人が注意することも必要ですが、それだけでは同じ種類のミスが残ります。
人は忘れます。
忙しいときもあります。
別のことに意識が向くこともあります。
予定外の対応が入ることもあります。
だから、
人がミスをしないように頑張る。
だけではなく、
人がミスをしても、その一つのミスが重大な結果まで通り抜けないようにする。
と考える。
Reasonのシステムアプローチも、エラーを完全になくすことだけでなく、その発生を想定し、影響を封じ込められる仕組みをつくることを重視しています。
「気をつける」を、再発防止策にしない。
今回の出来事から考えたいことの一つです。
なお、報道によると、学校側は再発防止策として、複数の顧問が前日までに必要書類を確認し、提出者を事前に決めることを徹底するとしています。
参考:山梨・顧問が弁当に気を取られ全中リレーの「申し込み遅れ」で選手ら欠場 昨年も同県卓球部で提出忘れ
仕組みを見ることは、責任をなくすことではない
ただし、「人はミスをするのだから仕方がない」という話でもありません。
担当した仕事を適切に行う責任はあります。
重大なミスが起きたのであれば、何が起きたのかを確認し、必要な説明をすることも求められるでしょう。
ただ、責任の所在を考えることと、再発を防ぐことは別です。
誰の責任だったかを明らかにしても、それだけでは次のミスを防げません。
担当者へ注意する。
本人に再発防止を求める。
そこで仕組みが何も変わらなければ、次は別の人が同じミスをするかもしれません。
責任を曖昧にするために仕組みを見るのではない。同じことを繰り返さないために仕組みを見る。
この二つは分けて考えたいと思います。
失敗は、報告されなければ組織の学びにならない
今回、もう一つ考えたいことがあります。
報道によると、全国大会より前の県中学総体でもエントリーの記載漏れがあり、生徒1人が出場できませんでした。
さらに、その件については、顧問の教諭3人が校長に報告しておらず、全国大会後の保護者説明会で保護者から指摘されて発覚したと報じられています。
参考:県中学総体でも顧問ミスで出場できず 校長に報告せず保護者の指摘で発覚 山梨・甲府市
ここで問いたいのは、
なぜ報告しなかったのか。
と、個人を追及することだけではありません。
ミスが組織の情報にならなければ、組織として原因を検証し、仕組みを変える機会も生まれにくくなります。
Reasonも、リスク管理には「reporting culture(報告する文化)」が重要であり、事故やインシデント、ニアミスを分析できなければ、繰り返し起こるエラーのパターンを見つけることが難しいと論じています。
なぜ校内で共有されなかったのかは、今回確認できる報道だけでは分かりません。
だからこそ、個人の動機を推測するのではなく、ミスをどの段階で、誰に、どのように報告する仕組みになっていたのかを確認する必要があります。
ただ、再発防止を考えるのであれば、
ミスを報告・共有できる環境になっているか。
まで検証する価値があります。
REPORTがなければ、LEARNINGには進めません。
ミスが起きた。
↓
報告する。
↓
組織で共有する。
↓
原因や仕組みを検証する。
↓
次の運用を変える。
ここまで進んで、初めて組織として失敗から学んだと言えるのではないでしょうか。
以前、「経験しただけでは、学びにはならない。」という記事を書きました。
それは個人だけではありません。
組織も、失敗を経験しただけでは学んだことにはならない。
経験を踏まえて、次の仕組みがどう変わったのか。
そこまで問う必要があります。
「教員にもっと求める」で解決するのか
もう一つ、
全国大会なのだから、顧問がもっと責任を持つべきだ。
という意見があります。
その一方で、
中学校の教員に、指導から引率、事務手続きまで、そこまで多くを求めるのか。
という見方もあります。
これも二択にする必要はないと思います。
システムの側から見るなら、問いは、
求めている仕事に対して、その業務を確実に遂行できる体制になっているか。
に変わります。
業務が多いなら、担当を分ける。
主担当と副担当を決める。
大会手続きを標準化する。
重要な申請は複数人で完了確認する。
必要に応じて、人員配置や役割分担そのものを見直す。
「もっと責任感を持つ」だけではなく、責任を果たしやすい環境をつくることもできます。
人がミスをしても、競技者の機会を失わない仕組みへ
今回、直接、大きな影響を受けたのは実際に走る予定だった生徒たちです。
競技者がどれだけ練習してきても、自分ではコントロールできない事務的なミスによって、スタートラインに立つ機会そのものを失うことがあります。
だからこそ、競技者を支える側の仕事では、
ミスをしない人でいる。
ことだけに頼らない。
担当を明確にする。
バックアップを置く。
完了を確認する。
忘れないための仕掛けをつくる。
ミスを報告する。
そして、起きたことから仕組みを変える。
人はミスをする。
だから、「もっと気をつける」だけで終わらせず、一つのミスが重大な結果まで通り抜けない仕組みをつくる。
今回の出来事を、「顧問がオーダー用紙を出し忘れた」という個人の失敗だけで終わらせず、スポーツを支えるチームや組織のあり方について考える機会にできるのではないでしょうか。
そのミスを、「気をつける」だけで終わらせていませんか?