本当に「無理」なのでしょうか?
「どうせ勝てない」
「自己ベストなんて出ないだろう」
「自分には、そこまでの能力はない」
思うように結果が出ないとき、そんなことを考えた経験はないでしょうか。
私にはあります。
というより、高校生のころの私は、かなり頻繁に考えていました。
もちろん、本当に難しいことはあります。
実力差が大きいこともある。調子が悪いこともある。どれだけ努力しても望んだ結果が得られないこともあります。
だからといって、「絶対にできると思え」「いつでもポジティブでいろ」と言いたいわけではありません。
しかし、一つだけ考えてみたいことがあります。
本当に「できない」と判断しているのでしょうか。
それとも、
「できなかったときに傷つくのが怖い」から、先に「どうせ無理」と思うことにしているのでしょうか。
この二つは、似ているようで少し違います。
「どうせ無理」は、自分を守ってくれる
本気で勝ちたいと思っていた試合で負ける。
必死に練習したのに、自己ベストが出ない。
「自分ならできる」と信じて挑戦したのに、できなかった。
それは、やっぱり傷つきます。
特に競技成績が落ちているときは、それまで持っていた自信も揺らぎます。
以前は勝てていた競技者に勝てない。
練習しているのに記録が伸びない。
周りだけが成長しているように見える。
そんな状況が続けば、「また負けるかもしれない」と考えるのは、とても自然なことだと思います。
本気で挑んで失敗するのは、怖い
ここで少し厄介なのは、本気で望めば望むほど、失敗したときに傷つくことです。
「絶対に勝ちたい」と思って負けるのと、「まあ、今回は無理だろう」と思って負ける。
結果は同じ「負け」でも、自分へのダメージは後者の方が小さく感じられるかもしれません。
なぜなら、「ほら、最初から無理だと思っていたから」と言えるからです。
ある意味では、「どうせ無理」という言葉は、自分を守ってくれます。
だから私は、「そんなネガティブな考え方をするな」と簡単に切り捨てる気にはなれません。
自分を傷つけないために身につけた、防御の方法なのかもしれないからです。
失敗する前に、逃げ道をつくる
心理学には「セルフハンディキャッピング」という概念があります。
失敗によって自分自身の能力や価値が傷つくことを避けるため、あらかじめパフォーマンスを妨げる要因をつくったり、「今日は調子が悪い」といった予防線を事前に主張したりする自己防衛的な方略です。
スポーツや体育場面を対象とした研究でも、身体的自尊感情とセルフハンディキャッピングとの関係や、失敗への恐れとセルフハンディキャッピングとの関連が報告されています。
ただし、「どうせ無理」と考えること自体をすべてセルフハンディキャッピングと呼ぶわけではありません。
ここで注目したいのは用語ではなく、失敗したときに傷つかないよう、挑戦する前から逃げ道を用意してしまうことがあるという心理です。
例えば、
「昨日あまり寝てないから」
「今回はそんなに練習していないから」
「別にこの大会に合わせてないから」
と、結果が出なかったときに使える理由を先につくる。
もっと行動として表れるなら、本当に練習量を減らしたり、十分な準備をしなかったりすることもあるでしょう。
そうしておけば、失敗したとしても、
「能力がなかったからではない。準備していなかったからだ」
と思う余地を残すことができ、短期的には自分を守る働きをします。
しかし、問題はその先です。
参考:Finez & Sherman, “Train in Vain: The Role of the Self in Claimed Self-Handicapping Strategies”
参考:Chen et al., “Fear of failure and self-handicapping in college physical education”
守ることで、失ってしまうものもある
「どうせ無理」と思うことで、失敗したときの傷は少し浅くできるかもしれません。
でも、その代わりに失うものもあります。
「どうせ無理」は、努力しない理由にもなる
「どうせ無理」と思っているのに、その目標のために全力で準備するのは難しいものです。
どうせ勝てない。だったら、ここまで頑張らなくてもいい。
どうせ自己ベストは出ない。だったら、今日の練習もこのくらいでいい。
そうやって少しずつ、自分が本当に望んでいたものと、日々の行動との距離が広がっていくことがあります。
そして結果が出なければ、「やっぱり無理だった」と思う。
でも、本当に能力が足りなかったのか。
十分に準備したうえで届かなかったのか。
それとも、失敗するのが怖くて、最初から十分に準備しなかったのか。
その区別すら、だんだん分からなくなります。
うまくいっても、次の問いが残る
逆に、十分に準備していないのに上手くいくこともあります。
練習を少しサボった。でも自己ベストが出た。
十分に準備していないつもりだった。でも勝てた。
それはそれで嬉しいことです。
ただ、その結果だけを見て、「このくらいの準備でも大丈夫なんだ」と意味づけてしまったらどうでしょうか。
次も同じ準備で臨むかもしれません。
たまたま上手くいったことと、自分にとって良い準備ができたことは、必ずしも同じではありません。
だから私は、成功したか失敗したかだけでなく、
「自分は、本当に望んでいるものに向かって取り組めていたか」
も見ておきたいと思っています。
見失うのは、自分のWillかもしれない
私が一番怖いと思うのは、負けることそのものではありません。
「どうせ無理」を繰り返すうちに、
自分が本当はどうなりたかったのかまで、分からなくなることです。
本当は速くなりたい。勝ちたい。全国大会へ行きたい。
でも、それを口にして失敗したら格好悪い。
だから、「別にそこまで目指していない」、「勝てなくてもいい」と言う。
そうやって、自分の期待値を下げ続けていると、本当に「自分は何を目指しているんだっけ」と分からなくなっていきます。
自分を守るために紡いだはずの言葉が、自分のWillまで隠してしまう。
競技者を対象とした2024年の研究では、失敗への恐れやセルフハンディキャッピングがアスリート・バーンアウトと関連する結果も報告されています。
もちろん、この研究だけから「どうせ無理と考えるとバーンアウトする」と因果関係を断定することはできません。
ただ、競技への意欲が落ちているとき、自分が何を恐れ、何から身を守ろうとしているのかを考える材料にはなると思います。
私も、「負ける前に負けよう」としていた
高校生のころの私は、まさにこの状態にいたのだと思います。
中学3年生のとき、400mで全国大会3位に入りました。
当時、競技に臨む姿勢はとてもシンプルでした。
走れば記録が伸びる。
速くなることが楽しい。
もっと走りたい。
もっと速くなりたい。
そんな気持ちで競技をしていました。
ところが、高校に入ると状況が変わりました。
全国大会3位というプライドを持ったまま高校へ進みましたが、周りには速い競技者がいくらでもいます。
中学校から一緒だった中距離を専門にする友人にも、400mで勝てなくなりました。
中学生や高校1年生のころには勝っていた相手にも、少しずつ先着できなくなっていきます。
「努力が足りないのか」
「自分には能力がないのか」
そんな不安が増えていきました。
そして、私はレースの前から、負ける場面を想像するようになりました。
「今回も勝てないだろうな」
「負けるとしたら、こんな展開かな」
今振り返ると、とても不思議です。
勝つために競技をしているのに、試合前から負けた自分の準備をしていました。
でも、いまなら理由ははっきりと分かります。
本気で勝ちたいと思って、負けるのが怖かったからです。
「どうせ負ける」と思っておけば、実際に負けたとき、「やっぱりそうだった」で済む。
「勝てるかもしれない」と期待した自分まで否定されたように感じずに済む。
勝負が始まる前から負けたことにして、自分を守っていたのだと思います。
その結果、高校最後の年は個人種目でインターハイに届かず、高校2年生で出した自己ベストを3年生では更新できませんでした。
もちろん、その原因をすべてこの心理に求めるつもりはありません。
ただ、競技をしていた当時の自分を振り返ると、
「もっと速くなりたい」
という気持ちより、
「負けたくない」
「傷つきたくない」
という気持ちの方が大きくなっていた時期があったことは確かです。
高校3年生の夏、地方選手権で一つの出来事がありました。
予選をかなり余裕を持って走ったにもかかわらず、自己ベストに近い記録が出ました。
予選の記録を決勝でも出せれば、優勝できるレベルでした。
しかし、突然訪れたチャンスを前に明らかに力み、ペースを乱し、決勝の結果は5位。
私は、そのレースのあとにかなり泣きました。
勝てなかったからだけではありません。
勝つチャンスがあったのに、この数年、私は「勝ちたい」という気持ちに向き合う準備ができていなかった。
そのことが、とても悔しかったのだと思います。
ポジティブになればいい、という話ではない
ここまで読むと、「では、ネガティブなことを考えず、ポジティブになればいいのか」と思うかもしれません。
私は、そうは思いません。
「絶対に勝てる」
「絶対に自己ベストが出る」
そう思い込む必要はありません。
現実的に考えれば、負ける可能性もあります。
自己ベストが出ない可能性もあります。
全国大会に届かない可能性もあります。
怖いものは、怖いままでいい
本気で目指しているものほど、失敗は怖いものです。
だから、「負けるのが怖い」と思っていい。
「また記録が出なかったらどうしよう」と思っていい。
その感情まで消そうとする必要はないと思います。
「怖い」と、「だから本当は望んでいないことにする」は別です。
それでも、「本当はどうしたいか」は隠さない
負けるのが怖い。でも、勝ちたい。
また失敗したら傷つく。でも、自己ベストを出したい。
届かないかもしれない。でも、全国大会へ行きたい。
矛盾しているようですが、それでいいのだと思います。
「怖い。でも、やりたい」
という二つの気持ちは、同時にあっていい。
重要なのは、不安を消すことよりも、
「本当はどうなりたいのか」まで一緒に消してしまわないこと。
ここにWILLINQで考えたい「Will」があります。
結果は選べなくても、向き合い方は選べる
試合の結果は、自分だけでは決められません。
どれだけ努力しても、相手の方が上回ることがあります。
完璧に準備しても、当日上手くいかないこともあります。
だから、「挑戦すれば成功できる」とは言えません。
でも、どんな気持ちで、どんな準備をして、その場に立つのか。
そこには、自分で選べる部分があります。
失敗しても、経験は残る
本気で挑戦して負けたら、やはり傷つきます。
でも、それは失敗を避けるために最初から挑戦しなかった経験とは違います。
「本気でやったけれど、届かなかった」
そこからなら、
何が足りなかったのか。
何ができたのか。
次は何を変えたいのか。
考えることができます。
結果は失敗でも、その経験を次へつなげることはできます。
積み重ねられるのは、成功だけではない
前向きな経験というと、
勝った。
自己ベストが出た。
目標を達成した。
そんな成功体験をイメージするかもしれません。
もちろん、それも大切です。
でも、自分の意思を隠さずに挑戦した経験も残ります。
勝ちたかった。だから準備した。でも負けた。悔しかった。そして、また考えた。
結果だけを見れば「失敗」でも、自分が本当に望んでいるものに向かって動いた経験は残ります。
成功だけを積み重ねることはできません。
でも、自分のWillに向かって選び、行動した経験なら、成功しても失敗しても積み重ねていくことができます。
「どうせ無理」の奥にある気持ちを、見てみる
自分を守ることが悪いわけではありません。
身体や健康を守ることはもちろん大切ですし、心が限界に近いなら休むことも必要です。
だから、「何があっても挑戦し続けろ」と言いたいわけでもありません。
ただ、失敗したときの自尊心を守るために「どうせ無理」という言葉を使っているのだとしたら、
その言葉の奥側を、一度だけ見てみてもいいと思います。
本当は勝ちたいのかもしれない。
もっと速くなりたいのかもしれない。
まだ競技を続けたいのかもしれない。
逆に、本当はもう別のことをやりたいのかもしれない。
どの答えでも構いません。
大切なのは「傷つきたくない」という気持ちに、本当の自分の意思まで隠してもらわないことです。
怖いなら、怖いままでいい。
無理かもしれないと思ってもいい。
それでも、
自分は、本当はどうしたいのか。
そこだけは、自分に聞いてみる。
あなたは今、何から自分を守ろうとしていますか?